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2009/10/08

「むかし女がいた」 大庭みな子

むかし女がいたむかし女がいた
(1994/03)
大庭 みな子

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★★★☆

むかし、女がいた。女は男が何かというと、「女には論理がない」と言っていたことを思い出していた。あれはどういうことだったのかしら…。永遠に解けない〈女と男の謎〉を、伊勢物語ふうの自在な筆で捉える連作小説。
「MARC」データベースより


借りたのは近年発刊された文庫本のほうではなくて、昔の単行本のほうです。
図書館でこの本を何度か見かけては開き、なんとなく惹かれていたのですが、ここにきて何度目かの正直で、ようやく借りるに至りました。

寓話調、散文調、詩、会話文など、形式にとらわれない、28の物語。
そのほとんどが「むかし、女がいた。」という書き出しで始まります。

女と男それぞれが持つサガが見せる、様々な表情を切り取っています。
時に痛烈な直接的表現で、時にたとえ話のように。
女が女として生きていけば、誰もが「抜けない刺」を持っているのかもしれません。
とりとめもないなかに、そんな怒り、嘆き、諦め、嫉妬、不満、嫌悪、不思議さなどなどが詰め込まれています。
単にフェミニズムを訴えているかというとそういうわけでもなく、女は大胆なしたたかさやずるさを持ち、男は不遜で愚かしくも愛おしく、双方とも相容れぬ生き物だということを認め、また永遠に分かり合えないからこそ、それぞれを賛歌しているようにも感じるのです。

私自身は、フェミニズムに対しての強い思い入れがあるほうではりません。
「抜けない刺」を刺されることももちろんあるけれど、波風を立てることが得意でないので無意識に痛みに鈍感であろうとしているし、逆に女性であることでの恩恵もたくさん受けてきました。
そんな私にとっては、なんだか心苦しくなる物語も多く、その突きつけられたものに目を背けたくなった気持ちのほうが強いかも。
でも、苦しいなりにもいろんな視点を知ることができて、読んで損はなかったと思いました。

5つ目の鈴虫の話、7つ目の猫のように寝そべって待つ女の話、25番目の詩が、非常に印象的でした。

作者の大庭みな子さんは2007年に亡くなられていました。
略年表を見たのですが、なんだか気になる作家さんであります。
彼女の作品を少しずつ読んでいけたらなと思います。

女の姿がよく見えない者を男という
男の姿がよく見えない者を女という

いや 全然べつの ありもしないものを
女だと思っている者を男という

そして 全然べつの ありもしないものを
男だと思っている者を女という

何もかも よく見えるようになった者は
女でも 男でもない


むかし女がいた
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