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2009/07/04

「永遠に来ないバス」 小池昌代

永遠に来ないバス
永遠に来ないバス
★★★☆

本詩集には様々な“水”が登場する。それは、あるときには汚水であり、雨やシャワーの流水であり、私たちを満たし、その端から滑り落ちていこうとする水である。湯気のように現実の周囲を漂う、くらさや気怠さにもかかわらず、丸みのある、肌触りのよいことばたちは、常に明るい陽の方を向いている。何かを欠き、不安を抱えて生きる、私たちの傾斜の角度をあるがままに感知し、その微かな陥没までをも直観し、あざやかな、ことばへの転換を図る。鮮烈な第一詩集『水の町から歩き出して』、現代詩ラ・メール新人賞受賞の第二詩集『青果祭』から6年を経て、いまだみずみずしくも、安定した技法を定着させた詩人の、注目すべき新詩集。
「BOOK」データベースより


最近小説を読んで気になっていた、小池昌代さんの詩集を図書館で見つけました。
はしがきの「つり橋」を含めると25の詩が収録。
パッと読んだだけでは意味の分からないものもあったのだけれど、心に迫ったものだけを味わうことに。
(意味を読み解くことを放棄してます 笑)

時間、空間、瞬間、という「間」の感覚を鋭く切り取っているという印象を持ちました。
特に印象に残った詩は、「永遠に来ないバス」「空豆がのこる」「靴ずれをめぐって」「あいだ」「蜜柑のように」「手を洗うひと」。
動と静の両方の詩がありますが、私はどちらかといえば静のほうに惹かれたようです。

自分では意識しなかったのだけど、解説文を読んで、改めて“水”の出てくる詩が多いことに気付かされました。
「永遠に来ないバス」
 表題作。
 豊かな表現力に圧倒されます。

 待ち続けたものが来ることはふしぎだ
 来ないものを待つことがわたしの仕事だから


 この2行が印象的です。
  
「空豆がのこる」
 「あのひと」と食べようと買ってゆでた空豆を、ひとりで食べている「わたし」の詩。
 その情景と「わたし」の思いがじんわりとしみて、心に残ります。 
 なんともいえない空虚感に、どこか妖しさを感じます。 

「靴ずれをめぐって」
 

 虫歯も靴ずれもありふれた痛みだ
 わかったところでその痛みはひとのもの


 この詩はとても面白く、一方で痛切。
 小さな共有の喜び、解りあうことの難しさ、それでも解りたいという気持ち。 
 頭の中でぐるぐる回ります。

「あいだ」
 ボールを追いかける男の子と、その転がってくる先にいるわたしの「あいだ」。
 その距離に生まれた空間と時間を切り取った、繊細な詩。

 もちよったじかんが重なり合わない
 こどもと私とボールが在って
 みじかく向き合った名もないあいだ



「蜜柑のように」
 

 とおまわりした気持ちがようやく届いて
 うれしいとおもう
 わたしの遅さ


 時間を越えて届くものがあることの、距離の遠さにはっとします。
 すぐ側にあったもののはずなのに、遠い。
 それは物理的なものだけでなく、気持ちのうえでの距離でもあり。 

「手を洗うひと」
 手を洗っているあなたの「汚れ」が、あなたの過ごした時を実証していて、あなたが生きていることを語っている、という発想に面白さを感じました。
 とても好きな詩です。 
  

また、あとがきの「階段の途中」という文章も素敵です。
小池昌代さん、ますます好きになりました。
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