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2013/11/19

「火山のふもとで」 松家仁之

火山のふもとで火山のふもとで
(2012/09/28)
松家 仁之

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★★★★

「夏の家」では、先生がいちばんの早起きだった。―物語は、1982年、およそ10年ぶりに噴火した浅間山のふもとの山荘で始まる。「ぼく」が入所した村井設計事務所は、夏になると、軽井沢の別荘地に事務所機能を移転するのが慣わしだった。所長は、大戦前のアメリカでフランク・ロイド・ライトに師事し、時代に左右されない質実でうつくしい建物を生みだしてきた寡黙な老建築家。秋に控えた「国立現代図書館」設計コンペに向けて、所員たちの仕事は佳境を迎え、その一方、先生の姪と「ぼく」とのひそやかな恋が、ただいちどの夏に刻まれてゆく―。小説を読むよろこびがひとつひとつのディテールに満ちあふれた、類まれなデビュー長篇。
「BOOK」データベースより


目に浮かぶような細やかな描写、穏やかで淡々とした記述のなかに、感情が見え隠れする抑制の効いた文章。
「ぼく」の語りが次第に心地よくなり、その世界にすっと入り込んでいきました。

使う人のために意匠を凝らした緻密な設計と建築。
所員の丁寧な仕事ぶりと、先生の含蓄ある言葉、夏の家での共同生活。
夏から秋にかけての美しい自然と、賑やかな時代を経て陰り始めた別荘地のコミュニティ。
鉛筆を削るサリサリという音、コゲラのかそけき気配、明るく乾いたひなたの匂いのするスコーン、暖炉のあたたかな火、可憐なヴィオラ・トリコロール。

時の流れは人も建物も少しずつ変えていく。
それは当たり前のことではあるけれど、切ない。
麻里子のカセットテープと先生の手紙に、静かに泣きました。

縄文時代の竪穴住居の、内と外の話が心に残っています。
建築の面白さを知った物語でした。

うしろの壁際には中腰で肩を寄せあう所員が並んでいる。中央に座った先生とぼくの眼鏡には、ろうそくの光が写り込んでいる。先生と並んで写っている写真は、あとになってみればこの一枚だけだった。フラッシュを焚かずに撮った粒子のあらい写真はやがて、所員の誰にとっても、言葉にならない懐かしさをかきたてるものとなった。


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2013/11/12

「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」 石井好子

巴里の空の下オムレツのにおいは流れる (河出文庫)巴里の空の下オムレツのにおいは流れる (河出文庫)
(2011/07/05)
石井 好子

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★★★★

戦後まもなく渡ったパリで、下宿先のマダムが作ってくれたバタたっぷりのオムレツ。レビュの仕事仲間と夜食に食べた熱々のグラティネ―一九五〇年代の古きよきフランス暮らしと思い出深い料理の数々を軽やかに歌うように綴った名著が、待望の文庫化。第11回日本エッセイスト・クラブ賞受賞作。
「BOOK」データベースより



以前から気になっていた石井好子さんの料理エッセイ。
1963年に暮しの手帖社から刊行された単行本は、最寄りの図書館に蔵書がなくてなかば諦めていたのだけど、2011年に、姉妹編「東京の空の下――」とともに文庫本として再発行されたのを最近になって知りました。
このエッセイのレシピ版もあるそうで、そちらも機会があったらのぞいてみたいなと思います。

「生肉をたべるなんて動物みたい」
といっていやがる日本人は多い。私はそういう人をみると、可哀そうにおもう。食べる前に頭からまずいものときめてしまうなんて、バカげているとおもう。
(「作る阿呆に食べる阿呆」より)


海外で食べてきた多種多様な食べ物と料理。
今の時代でさえ、エスキャルゴに蛙、トリップ(牛の臓物類をこまかく切って煮たもの)、豚の鼻、血の腸詰、と聞くと少しぎょっとしてしまうけれど、石井さんは食べ物にたいしてフラットな感覚をお持ちだったんだなと思います。
ドリアンのエピソードでは大いに笑いました。

お料理はなんのきまりもないのだから、とらわれないことだ。それから自信をもってまな板に向うことだ。こんな材料ではおいしいものがつくれる筈はないと思う前に、これだけのものでどんなおいしいものをつくってみせようかと考えるほうが幸福だと思う。
(「西部劇とショパンと豆と」より)


戦中戦後の食べ物が乏しい時代、また海外生活で日本の食材が手に入りづらい時代に作られてきた料理の、柔軟な発想と工夫。
なんだか耳の痛い言葉。

おいしいものというのは、なにもお金のかかったものではなく、心のこもったものだと私は信じている。
この本には、いろいろなお料理のことを書いたけれど、私のおいしいと思うものは、銀のお盆にのったしゃれた高価な料理ではなく、家庭的な温かい湯気のたつ料理だ。
台所から流れるフライパンにバタがとけ卵がこげてゆく匂い、それは台所で歌われている甘くやさしいシャンソンではないだろうか。
(「あとがき」より)


心が満たされる数々の料理の記述。
食べ物への愛情が伝わってきます。
バタの匂いが、肉の焼ける音が、スープの湯気が、50年の時を経た今でもありありと感じられる素敵なエッセイでした。
エッセイ | Comments(0) | Trackback(0)
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